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青葉祭 6月15日(水)

法多山

青葉祭6月15日
法要
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青葉祭(あおばさい)~お大師様の生誕祭~

水無月(みなづき)の雨に濡れた青葉が、いっそう鮮やかな色を見せるこの頃、真言宗の開祖である弘法大師空海上人はお生まれになられました。(以降、お大師様と称します)そのため、全国の真言宗寺院ではお大師様の生誕日である6月15日にお祝いの行事を行っております。

 

さてお大師様が中国の唐へと渡り、青龍寺(せいりゅうじ)の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から密教を学び、日本へ真言密教をもたらしたことは周知の事実ですが、それよりも以前のお大師様について知る人はそう多くはないでしょう。例えば、お大師様の出身地は讃岐の国(さぬきのくに)の多度郡(たどぐん)。現在の香川県善通寺市(ぜんつうじし)です。宝亀5年(774年)6月15日、父・佐伯善通(さえきよしみち)と母・玉寄御前(たまよりごぜん)の子としてお生まれになります。誕生の地である佐伯家の邸宅跡には、現在は善通寺(四国八十八国霊場75番札所)の西院が建っており、そこには御影堂(みえどう)や産湯井(うぶゆい:お大師様の産湯として使われた井戸)があります。また、お大師様は幼名を『真魚(まお)』といい、幼い頃から聡明で5、6歳になる頃には神童と呼ばれていました。15歳の頃には、母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)に師事し、『論語(ろんご)』や『孝経(こうきょう)』、歴史の書物を学ばれ、その後、上京(※当時の都は奈良)して大学に入ると儒教(じゅきょう)について学ばれます。しかし、自身の求めるものは儒教にはないと考え、大学を中退し、特に好んでいた仏教の道へと進まれます。その後は、仏道の修行者として険しい山や石壁そびえる海岸などへ赴いては、瞑想や断食などの苦行をされます。また、諸説ありますがこの時期に瞑想をしていた海辺の洞窟から見えた広大な空と広がる海を見て、自身の名を『空海』と改めたといわれています。そして20歳になると剃髪し、仏教の戒を授かり、出家者となられます。お大師様は僧侶として日々研鑽を積む中、夢枕に現れた人物から『大毘盧遮那経(だいびるしゃなきょう、通称:大日経)こそは、汝の求めるところである。』と教えられ、そして苦労の末に一巻の大日経と出会います。しかしながら、通読するも理解できない点があり、質問しようにも答えられる者がいなかったため、経典が伝来した中国へと渡り学びたいと念願されます。そして、幾多の試練を乗り越え、延暦23年(804年)にお大師様は中国の唐へと渡り、真言密教について学ぶことが出来たのです。

 

史実に対して「もしも」という言葉は無粋ですが、もしもお大師様がお生まれにならなければ、現在のような日本の仏教は存在しなかったはずです。私たちが、日々仏様の教えに親しむことが出来るのは、ひとえにお大師様の若き日の努力のおかげです。お大師様をお参りされる際には、感謝の心を伝えるとともにお手をお合わせいただければと思います。

 

 

 

弘法大師御誕生法会(青葉祭)

 

日時 : 令和4年6月15日(水) 午前8時30分~

場所 : 法多山尊永寺大師堂

2022.06.13

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